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いま学校が危ない!義務教育費国庫負担制度を守ろう!
もし今「改革」が進むと?
201X年、東京から岡山県へ引っ越してきたAさん(43才)の独り言
「大都会の雑踏を逃れて、緑豊かな岡山県に越してきたものの、子どもたちのことを考えると東京に帰らないといけないかな。 引っ越しする前に、もっとよく調べておくべきだった。 だって、東京ではどこでも1クラス30人以下なのに、娘がいま通っている中学校は50人学級らしい。 成長期の中学生をすし詰めの教室に押し込めておいてよいものか。 県ごとに学級定数がこんなに違うなんて知らなかった。」

201X年、美しい雪景色が自慢のBさん(65才)夫妻の会話
「うちの町の小学校がのうなってから、何年になるんかなあ。」
「もう5年になるかなあ。学校があった頃は、本当によかったぞなあ。秋にゃあ、町中のみんなが運動場に集まって運動会をしたもんじゃ。子どもたちの数は少なかったけえど、先生方も大声で応援してくださって、にぎやかじゃったぞなあ。」
「なんで学校が、のうなってしもうたんじゃろうか。」
「なんでも国の方針が変わったかとかで、『今まで岡山県に国が配ってくれていたお金が来んようになってしもうた』とか言ようたなあ。岡山県も借金が多いらしゅうて、学校を少のうせんとやっていけんらしい。」
「孫も遠い隣町の小学校まで通わにゃあおえんから大変じゃなあ。朝早う起きにゃあおえんし、バス代も結構かかるしなあ。・・・」

れらは、教育に力を入れている現在の岡山県では考えられない話である。 しかし、政府が「三位一体の改革」の名の下に押し進めている地方への補助金や交付金の削減が強まれば、近い将来、起こり得ることである。 もし、このまま私たちが地方からの声もあげず、何もしなければ、現実となってしまうかもしれない話なのである。
 「三位一体の改革」は、地方の財政的な自主性を高めていくものであり、その理念については理解できる。 しかし、廃止すべき負担金のトップに義務教育にかかるお金をあげていることは、まったく納得できない。 まさに、公教育・義務教育が最大の危機を迎えているといえよう。日本社会の繁栄を支えてきたのは、国民の高い教育レベルだったはずだ。 それは国からの財政支援により、日本のどこに住んでいようと一定水準の教育条件が保障されていたからに他ならない。
かし、財務省や総務省の言うように義務教育費国庫負担制度を廃止して、何にでも使える交付金化や一般財源化してしまったら、自治体により教育条件の不均衡が生じるのは明らかだろう。いくら教育に力を入れたくても、財政力の弱い県にとっては「無い袖は振れぬ」ことになりかねない。
 岡山県教職員組合は学校に勤める者として、保護者として、政府に訴えたい。「子どもたちに豊かな教育環境を用意するのは、国の責務であり、私たち大人に課せられた責任です。 次の世代を生き抜く子どもたちのために、世界で誇れる教育水準を維持してきた今の制度を守ってください。」と。
 「米百俵の精神」とは、どんなに厳しい状況にあっても、将来を担う子どもたちの教育のためには、国の財政支援をおしまないということではないだろうか。
 参考資料→知事会の「国庫補助負担金改革案」について

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