・東日本大震災現地ボランティア(3)
岡山県教職員組合備南地区協議会執行委員Fさんの、福島県郡山市での活動報告です。(期間2011年7月23日〜7月27日)
子どもたちの学習支援,心のケアということで迷わず手を挙げたボランティアであったが,とにかくわれわれ第2タームが福島初のボランティアチームということで情報が少なく不安も大きい中での参加であった。マスクはどんなものが必要なのか長袖はいるのか・・・。福島に入る前は放射線や安全面での不安も大きかったことも確かであった。しかし,福島の地に降り立った時,市民の方々はまったくそのような装備をしていなくて驚きであった。福島第一原発から半径20q圏内はもちろんであるが,半径60q離れた福島市や郡山市でも決して放射線量が低いわけではない。しかし,人々の話を聞いていると様々な不安と葛藤を抱えながら日々を生きていることが実感として感じとれた。
初めて顔を合わせた岡山県チーム4名は,微力ながらも「福島の子どもたちのために何かできることを」という思いを込めて参加していた。この熱い心を持ったチームならいい支援ができると確信できた。およそ100世帯を抱える仮設住宅に隣接している稲川原集会所がわれわれ岡山チームの活動場所である。集会所は当然のことながら出来たばかりの新しい建物であるため,中は長机がふたつと椅子が5脚程度の備品しかない。満足な学習環境が整っていなくても子どもたちは一生懸命に学習に取り組んでいた。
集会所に来る子どもたちは3才から中学3年生まで幅広い。みな夏休みに入ったばかりで宿題を持参しては,長机からはみ出さないばかりにノートや夏休みの友を広げて一生懸命に問題を解いている。岡山県チーム4名は小学校2名,中学校2名の4名であるが,自分の専門外の学習にも一緒になって,調べたり解いていったりした。午前中は9時から11時ごろまでが学習支援の時間。午後は,「室内での遊びをしよう」ということで、しっかりものの3年生の提案でハンカチおとしやフルーツバスケットなどのゲームを行った。岡山チームとしては,集会所での活動のスタートでもあるので,流れをつくろうという気持ちで一致していた。そこで,午前・午後の時間割を大まかに決めて,集会所での約束作りを行っていった。子どもたちも進んでルール作りで意見を発言していき,初日に集会所の大まかなルールを作ることができた。それを子どもたちの手で画用紙に書いたものを掲示して,自分たちの場所という意識を持たせた。
子どもたちとの学習や遊びの中から放射能という見えない恐怖から避難していることは感じられない。無邪気な笑顔や室内で汗だくに遊んでいる姿をみるとそうしたことは忘れてしまいがちだ。しかし,ふとした会話から「早く川内村に帰りたい」「原発はいやだ」・・・と本音がこぼれる。私たちとの時間はたった3日間。どれだけのことができたかわからない・・・。けれど,この子たちが望むように早く自分たちの村川内へ帰ることができるように,健康被害なくすくすくと育って欲しいと強く願うばかりであった。
福島から郡山までの移動の電車で学生と話をした。地震があった時に電気も水もとまってしまった。放射線の危険から家から出ないように言われていたものの出ないわけにいかなかった。20q圏内の健康診断が優先なのでしかたないけれど、早く健康診断を受けたい。未来ある若者が淡々と語るその姿に胸が締め付けられる思いだった。
タクシーの運転手さんのお話。もう,ピークは過ぎているけどね。福島も線量高いのは,政府も知っていたけど,パニックになったらいけないから黙ってたんじゃないの・・。はっはっはっ・・・。陽気に笑う運転手さんのおしゃべりも聞いているとつらくなる。
広大で美しい自然に恵まれた福島県。米や牛,岡山県と同じく果物がうまいことでも有名であるという。早く,もとの美しい自然豊かな福島に戻ってほしい。そしていつかあの子どもたちが元気にすくすくと育ち,大きく育った姿を見てみたいと思った。
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