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2018.11.20
教科書無償化のはなし 教育現場ではここ数年教職員の「大量退職・大量採用」が続いていて、急速に世代交代がすすんできている。現場にフレッシュな力が入ることは大歓迎だ。若い力の注入はベテラン勢にとっても刺激になるに違いない。と同時に、新しい世代にもぜひ知っておいてもらいたい教育の歴史もある。その一つが教科書無償化の闘いだ。元来、学校で使用する教科書は保護者が買って子どもに与えていた。 無償化の闘いは、戦前にまで遡る。しかし、歴史を動かしたのは、戦後15年以上も経ってからのことだ。高知市内のとある被差別部落。差別ゆえに主要産業から排除された人々は、経済的に厳しい生活を強いられていた。母親たちは我が子が新学期を迎えるのが辛かった。その頃、そのムラでは、母親たちが教師たちと夜な夜な勉強会を重ねていた。日本国憲法を学習していたとき、ある母親に一つの疑問が浮かんだ。憲法26条「義務教育はこれを無償とする」、なのに現実はそうなってない。 話し合いを重ねた末、「○○(地名)教科書をタダにする会」が結成され、学習活動・集会・署名へと活動が展開されていった。議会への陳情も重ねた。やがてその運動は野火のように拡がり、ついには国会の場でも取り上げられるに至っていく。文字で記せばあっけないが、紆余曲折があったことは想像に難くない。運動の切り崩し策動もあったと聞く。 しかし、闘いの火が消えることはなかった。「タダにする会」の結成から足掛け3年が経過した1963年12月、ついに「義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律」が成立。無償化は小1から段階的に実施され、1969(昭和39)年中学校3年生までの全ての教科書が無償(国庫負担)となったのである。 忘れてならないのは、決して被差別部落の子たちだけを対象とした運動ではなかったということ。事実、この法律によって救われたのは、その他大勢の貧しい家庭の子どもたちだった。その思想は、翌年の同対審答申へと繋がる。 新学期、子ども達に新しい教科書を渡すとき、熱と光を求めて闘った母親たちの姿をほんの少しでも思い浮かべてほしいと思う。 (梶原洋一) コラムバックナンバー |