OTUニュース
2015.11.27
「忘れました」の向こう側に


  中央大学の池田賢市さん(教育総研所長)のご講演を拝聴して、私の子ども時代と重なる部分があって驚きました。
  私が小学校に入学したのは1965年4月。当時、訳あって親戚の家で育ててもらっていましたが、感覚的にも伯父と伯母は「父と母」でありました。運転免許を持たない伯父は、毎日大きな道具箱を荷台に結わいつけ自転車で現場に向かっていました。休みなく働いても経済的には非常に厳しいことが、幼い私にも何となく分かりました。
  小学校1年と2年は同じ担任でした。その頃、私が最もイヤだったのが集金日。校門を入った所に「行事黒板」があり、その月の集金日も記載されています。私が言えばすぐにお金を用意してくれるのですが、私としては何となく集金袋を渡しにくくてたいていランドセルの中に入れっぱなしにしていました。これが私の「忘れ物」です。黒板のすみっこに「忘れた人」の名前が書かれます。初めは数人の名前が書かれますが、何日かすると「かじはら」の名前だけが残るのでした。先生の「かじはらくんは今日も忘れたのですか」の言葉と冷たい表情は50年経った今でも忘れません。「この黒板の名前を見たら伯父も伯母もどう思うだろうか」と考えると逃げ出したいような気持ちでした。私は決して「忘れていた」わけではなかったのです。おそらくクラスの誰よりも「集金日」のことは覚えていたのです。でも「忘れ物」となるのです。
  時が流れて私が教壇に立つようなってから、あの頃と同じように「忘れました」という言葉に出会います。もしかしたら、「忘れました」の言葉のなかに家族のくらしを丸ごと背負っている姿が見えはしないか。子どもの肩では背負いきれないほどの荷物を抱え、小さな胸を痛めている姿がありはしないか。自分の子ども時代と重ねながら子どもたちの言葉を受け止めようとしてきました。でも失敗は数多くあります。
  現場でよく語られる「子ども理解」は、その子の生活背景や親たちの我が子にかける思いをしっかり掴むことから始まるのだと思うのです。

(梶原洋一)



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