OTUニュース
2015.06.16
元特攻隊員の記憶


  先々月90歳で亡くなった伯父が元特攻隊員だったことを知ったのは去年のことでした。広島市内で暮らす伯父夫婦には子どもがいないこともあり、年に何回かは会いにいっていました。ある日帰ろうとする私に「洋ちゃん、これ読んでみて」と渡された小冊子には、「私の青春」という題名が付けられていました。帰宅して開いてみると、それは彼自身の「戦記」でありました。
  母親の反対を押し切り、軍の応募に応じたのは1944年(S.19)4月、18歳の時だったそうです。わずか半年たらずの「猛訓練」を終え、配属された隊が向かったのは沖縄・慶良間列島。任務は、「震洋」という名のベニヤ張りの小艇(240kg爆雷を搭載したいわゆる特攻艇)で敵艦に突撃すること。順次「命令」が下り、出撃していく若い少年兵たち。「次は俺」という直前、米軍の猛爆を受け、艇は全壊。食料も絶たれ山野をさまよい、飢えと傷病で次々と倒れていく仲間。終戦を知ったのは8月22日。彼自身「あと1週間遅かったら間違いなく餓死していた」と振り返っています。戦後もマラリアに苦しんだと記されていました。そして、「平和を願う」と結ばれていました。
  これが「聖戦」とされていた戦の実相なのでしょう。大義名分は(都合のいいように)何とでも付けられますが、確かに言えるのは、いつの時代も戦争を決める人と、命の危機にさらされる人は違うということです。
  今、「積極的平和主義」「国際平和支援」等の言葉が飛び交っています。しかし「平和のための戦い」など、本当にあるのでしょうか。
  極限の状況を今の時代に正しく理解するのは困難でしょう。同時に「教育の重さ」も思い知らされた手記でありました。

(梶原洋一)



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