OTUニュース
2012.02.09号
「竹田の子守唄」から・・・


  子守唄は子どもをあやすために歌われる。しかしなかには、"口減らし"のため、幼いうちから子守り奉公に出され、子どもを背中に結わい付けた娘たち、つまり「守り子」自身を唄ったものも意外と多い。京都市南部・伏見地方のとあるムラで、守り子たちによって唄い継がれてきた「竹田の子守唄」もその一つだ。
  1965年といえば、米軍が旧北ベトナムへの空爆を開始し泥沼化していった年であり、日本各地で権力と対峙する労働組合や学生・青年が「真の平和」を求めて衝突していた年である。この年、伏見で開かれたある集会で、地元に伝わる"守り子唄"が若者たちによって披露された。地域のおばあさんが唄う"守り子唄"を録音し、採譜・アレンジしたのが「曲」の始まりである。この曲がさらにアレンジされ、後にフォークグループ赤い鳥によって「竹田の子守唄」として世に出され、100万枚を超える大ヒットを遂げることになる。(私は赤い鳥のファンだったのだ…)
  ところが、その直後にこの曲が各種放送メディアから突然消し去られてしまった。理由はただひとつ。この唄が被差別部落の歴史と文化のなかからうまれた唄だったから。この問題に関わりたくないと"自主規制"していったメディア、それを「しょうがないこと・・」と受け入れてしまった多くの人々。差別は、それを「しょうがない」「関わりたくない」とあえて異を唱えない多くの人々の存在によって成り立つ。
明治以降、急速な近代化を進めていった一方で、苦労に苦労を重ねてきた幼い娘たちの「うめき」や「怒り」が唄の中からみて取れる。そして、その中から生まれた誇りうる地域の温かい歴史と文化が伝わってくる。そこから今に学ぶことは多い。 「歌え!」と押し付けられなくても、メディアが流さなくても、残るものは残り、時代を超えて伝わっていく。

(梶原洋一)
参考 「竹田の子守唄 〜名曲に隠された真実〜」藤田正著


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