OTUニュース
2011.10.24号
宮古にて


  学生時代、三陸海岸を断続的に走る鉄道に乗ったことがある。宮古以南は典型的なリアス式海岸で、入江は陸に深く切り込まれ、その奥に広がるわずかばかりの平地に小さな漁港と町があった。鉄道は山側に敷かれており、三陸の美しく雄大な海が遠望できた。しかし、町は過去に幾度も津波の惨禍に見舞われており、市街地からでは海が見えないほど巨大な防潮堤が築かれていた。どの町だったか忘れたが、海を望む山の中腹に巨岩が置かれ「これより下に家を建てるべからず。思え、津波の惨禍・・・」と刻まれていたと記憶する。1896年に発生し、大船渡で38mを観測した明治三陸地震の後に置かれたと思われた。38mの津波!その時は、その数字から悲惨な光景を想像するのは困難であった。置かれた巨岩より下に住宅が建てられ、街が広がっていた。城壁のように漁村を取り囲む防潮堤に全幅の信頼が置かれていたのだろう。今回の東日本大震災によって発生した大津波は、ギネスにも載る大堤防を乗り越え、破壊してしまった。
  8月28日の夕刻、復興支援作業を終えた私たち岡山県教組のメンバー4人は、陸中海岸国立公園の白眉「浄土ヶ浜」に向かった。海に林立する白い岩峰。約300年前、地元宮古の僧が「さながら極楽浄土のごとし」と表現したのが名前の由来とのことだが、それが頷ける景観。もちろん、ここに至るまでに漂流物等で埋まった浜を清掃した人々がいたことは言うまでもない。
  リーダーとしてさりげなく皆を引っ張ってくれたなかま、高齢・虚弱な私を気遣い力仕事を率先してくれたなかま、新採用2年目ながら特別気負うこともなく、その真っ直ぐな瞳に清々しさを感じたなかま。なかまに恵まれた5日間だった。 蒼く澄んだ海を見つめながら、いつかまた、この美しい浄土ヶ浜を何の雑念もなく見たいと心から思った。

(梶原洋一)


コラムバックナンバー
□2018年:最新号20181002 違いを豊かさに20180712 まずは率先垂範でしょうが20180227 人間回復の橋
□2017年:20170908 ここにもまた、効率・採算・・・20170726 実るほど 頭を垂れる稲穂かな20170614 「渋染一揆」に学ぶ20170127 想像する力
□2016年:20161130 発想の転換20161018 殺傷事件から考えたこと20160329 赤ペン先生
□2015年:20151224 若者とこの国の「未来」2015151127 「忘れました」の向こう側に20150930 原風景20150826 夏の作業20150616 元特攻隊員の記憶20150428 社会人、家庭人、地域人20150330 人間は多面体20150220 酒と父と私と息20150113 人権文化のバロメーター
□2014年:20141201 消滅可能性自治体20141020 憂いのそばに20140905 ゆたかな学びを求めて・・・20140804 「きょうも机にあの子がいない」からの学び201406 競争社会のなかで
□2012年:20120920 集え!全人教大会(全国人権・同和教育研究大会)へ20120209号 「竹田の子守唄」から
□2011年:20111024号 宮古にて20110420号 「国難」と人権20110201号 草野球
□2010年:20101110号 ケータイ依存20101010号 学びの原点20100801・10号 多目的トイレ20100501号 運動不足20100220号 2010年屠蘇の味
□2009年:20091110号 みんなちがって みんないい20090910号 A君の夏20090910号20090501号 にんげん回復のために
□2008年:20080820号 "格差社会"の中を生きるということ20080801・10号 「白い杖」20080420号 新学期の匂い20080320号 「宿泊拒否」事件から見えてくること20080120号 「乾いた言葉」
□2007年:20071220号 「人と人との間で生きること」20071120号 「相手の思いを我が身に重ねて」20070720号