20110201号
草野球
子どもの頃の遊びといえば、パッチン(めんこ)にビー玉、そして毎度おなじみ草野球。狭い空き地や冬なら田んぼが我らの野球場。学年はバラバラ、小さい妹や弟を連れた奴もいて、放っとくとウロウロしてかえって邪魔になるからその子らも混ぜてやる。だから時には内野に6人いたり、「キャッチャーの後ろ」という訳の分からんポジションがあったりする。小さい子が打つときにはバットに当たるまで何球でも投げてやる。
道具については工夫が必要で、ボールとバットは1つあればいいが、問題はグローブ。お古や何やらをかき集めても半数揃ったことがなく、何人かは素手で守る。それはいつも学年の上の子らだった。バットは山の木や竹を(勝手に)切ってきて自分たちで作ったりもした。
野球ができる最低人数は何と2人!ピッチャーとバッター。キャッチャーは箱に立てかけた板きれ。ヒットで出塁するとバッターがいなくなるので、塁には「透明ランナー」なるものが登場する。
なかまと時間さえあれば、子どもたちは放っといてもつながり、学んでいく。道具は少し足りないくらいがちょうどいい。貧しかったが、豊かだった。
学力テストも進学塾もなかったけれど、みんな結構育っていった。そうした力を元来どの子ももっている。教育は、それを信じることから始まるのだと思う。
(梶原洋一)